いろんなことが重なって

なんとなく空を撮っている

空を見ることも、梢を見上げることも忘れて、足元を見つめて過ごしていた。ふと、何が起ころうともこの世界は美しいではないかと思った。生きることは、たまに輝く喜びがあってその喜びを紡ぐ糸は悲しみに満ちていて、それでもそのことを受け入れていくことだ。どんな幸せな穏やかな日々も、その水底に悲しい流れが潜んでいる。その美しい水面だけをいただくわけにはいかない。吉祥天女黒闇天が一対であるように、そのどちらかだけを受けることはできない。悲しみが際立っているときも、又その水底には幸いが流れている。いつもどちらかだけということはない。絶望だけがやってくることも希望だけがやってくることもない。それのどちらが際立っていても、穏やかにそのすべてを抱え込んで私という川は流れ続けていく。苦しい今を生きねばならない命があるならば、共にその命の時間を生きてゆく。たとえその命にとって闇しか見えないときでも、私は幸いの流れを差し出すことができるかもしれない。そのためだけに、私が呼ばれているのであっても、私はその場所に生きていたいと思う。眼を上げてみれば、この世界は美しい。