あの日から4年たった

 いきなりそれはやってきた。何が起きたのかわからないままじっと嵐のような揺れが収まるのを待った。たっていたものが崩れ、壁が裂け、そして静寂。大きな雪が降り出して凍える寒さだった。電気が使えないからどうやって生きようか。食べるものの心配。家族一人一人の精子がわからない。電話もつながらない。あの時携帯から災害ダイヤルはつながらなかった。かけてもかけてもつながらなかった。この町は世界のどこにもつながらなっていない。恐怖だった。


あの日ラジオを探し出し、何が起こったのかを確認し、ノートとペンを探して今、ここで起こっていることを記録した。そうしなければ記憶が混乱して何日に何が起きたのかわからなくなる。思い出そうとしても物事の順序がわからなくなる。そして何より怖かったのは、この混乱の中で誰かが死んでしまうかもしれないこと。何が起こるか全く予想がつかなかったから、一人一人が今どこで何をしているのかを記録して確認した。


戦争を知らない私たち。もしかしたら、これは戦争とよく似た状況かもしれないと思った。自分にはどうにもできない大きな恐怖の中に取り残されてゆく恐怖。


私たちは生き延びた。たくさんの友人が亡くなり、今も帰ってこない。私たちの旅はまだ続く。海底のひずみは解消していないという報告があった。同じ規模の津波が起こる可能性は解消していない。またあの日の惨状が予告されている。地震列島に住む私たちの宿命かもしれない。それでも私たちはあたかも何事もなかったかのように不安を抱え込んで生きてゆく。もう少し先まで行こう。もう少し、もう少し。