ここしばらく

けやきの落ち葉は 春に備える

TVでも、新聞でもラジオでも、目に付く場所聞こえるものから、阪神から二十年の言葉が飛び込んでくる。その映像も、体験談も私自身の記憶に響く。とてもつらい。理屈ではなく、感情の部分が揺さぶられ恐怖が戻ってくる。すべてをシャットアウトして観ないように聞かないようにしても、心の奥深くでは時間を数えている。あの日、兄の家族は東灘にいた。私たちは福島にいた。福島中央郵便局で扱った被災地向けの支援物資の第一号は私が送った荷物だった。高校生だった大将に学校を休んでもらって買い出しに行き、荷物を詰めて郵便局に運んだ。
 連絡の取りようもない。ただ生きていることを信じてとりあえず荷物を送った。生きていてほしい。どこかにいてほしい。祈って祈って連絡を待った。6324人の中に兄の家族はいなかった。今、かの地で何事もなかったかのように忙しく暮しているが、電話をしてみたら、義姉は涙声だった。彼女の親しい友人一家も全員が亡くなった。土地の人間ではない私でさえ、東日本大震災で友人を亡くしている。人は自分に絆を結んだ誰かの死をも身に帯びて自分の人生を生きる。この大きな災害の中で傷を負わなかった人を探すことは難しいだろう。生き残った。死なずに済んだ。運。生きる定めだった。生かされている。その言葉のどれをとっても、裏返しの言葉が付いてくる。裏返しの言葉は口に出せないほど無残な思いを呼び起こす。被災者の中でなぜ私ではなくあなたが?というサバイバーズキルドの感情が湧く。さいなむ。私はあなたの代わりに生きることはできない。あなたの願いを願うことはできない。あなたになることはできない。その思いは切なく、無力感を抱かせる。この日なんとたくさんの無念の思いが天に帰って行ったことだろうか。
 考えてもどうにもならないことがたくさんある。私たちは思考のループから抜け出したいと思いながら、あえて痛みに満ちたループの中に沈み込む。せめて今日一日は揺蕩っていたい。偲という言葉を掌に温めながら。