子供のころは

日が一番低い季節

一年の終わりがとても怖かった。大人たちが今年のことはすべてきちんと始末して新しい年を迎えなければいけないというので、大掃除も窓ふきも、洗濯もすべて終わり、お風呂に入って新しい服を用意して明日の朝に何一つ今年のものを持越してはいけないと教えられた。そしてみんな猛烈に働いていた。
 もし元旦にそれを持ちこしたら一年間そのことを背負っていかなければならないと思い込んでいた。だから怖かった。日記帳もこの日までに穴がないように埋めた。たとえ何か出来事がなくても、私は確かにこの一日を生きていたのだから、そのことに対して心を寄せなさいと教えられた。
 昔の大人たちは自分たちも又そのようにして生きていたから、言っていることに矛盾を感じる隙間がなかった。なぜあんなにも彼らは身を尽くして日常を大切にしたのだろうか。電化製品といったってみな人の手が半分かかわらなければならないものばかりだったし、食事も店が三日間は閉まっていたし、コンビニもファミレスもないから、買い置きをして献立をたてて、ああそうだ電子レンジもなかった。あったのはガス上置きの天火とその後大型のガスコンベックを導入したのだった。買った食品の保存だって冷蔵庫がないのだから、どうしていたのだろうか。北海道時代には地下室があって食品が凍らないように保存していた。内地ではどうやって母が保存していたのかわからないけれど、物置という外にあった小さな小屋に保存していたように思う。
 父も母もみな手順を持っていてそこに子供たちが役割として組み込まれていったけれど、私は父と、妹は母と組んで仕事をすることが多かった。あの家で私は長男的な立場を求められていたと思う。本当は男の子がほしかったのだとわかっていたから、暗黙の裡に、もし男ならばという行動を選んでいたように思う。
 薪の時代には父と一緒に斧でまき割りもしたし、父と屋根に上って雪下ろしもした。子どもというものは親の気持ちを推し量って、自分を変えようとすることができるものだ。親が望むであろうことを先取りする生き方を、子供たちは静かに自分に課して生きることを学ぶ。親が望んでいるであろう子供としての自分を生きようとするとき、子どもを無邪気なだけの生き物だと思ってはいけない。子供時代は実に大人以上に張りつめて緊張感を抱えやすい時代なのだ。
 子供も又大人以上に生きることに向き合っている。それを丸めて大人の言葉に押し込んでしまっては子供の心の闇を知ることはできない。老年期に入っても生きにくさを抱えている人たちの、カウンセリングをしているとき、子供時代に抱え込んだ親の望む自分と、本来の自分のギャップに苦しい思いをしていることを未解決のまま抱えて、それがカギになっていることが多い。簡単にアダルトチルドレンと切り分けられない複雑なプロセスがそこにある。親が課したのではなく自分の意志で、無意識の部分も含めて抱え、引きずり、その上に人生を組み立ててきた歴史がある。達磨落としのようにその部分だけを切り取って、なかった事にはできない。そういう過去の時間の流れを受け入れて、ではどう生きていこうかということになる。今年も又、そんな昔子供だった時代を今抱えなおさなければ、苦しくてたまらない大人たちに出会った。