東京駅

 昔この地に勤務していた時、毎夜最終の報告データを中央郵便局から出して電車で自宅に帰るのが日課だった。残業の終わりに郵便局で一日の報告書を作成して郵送する。今ならPCのデータ送信で済むことなのに、あの頃はコンピューターセンターで処理をし先方に郵送するのが普通のことだった。それでも自分が一日つつがなく仕事を終わった張り合いがあった。若かったからあんな無茶な働き方ができたのだと思う。自分の生活費を自分で働き出すことに誇らしさがあったから、まっすぐに前を向いて歩くことがかなったのだろう。それから長い年月を経て、この赤い煉瓦の建物を見た時、あの時の夢は叶ったのだろうかとふと思った。あの時心に描いていた自立した生き方を私はしてきただろうか。逃げはしなかったけれど逃げることを恐れてその道にしがみつきはしなかっただろうか。自分らしさを大切にしてきたとは言い切れない時代があった。変わろうとして変わり得ない自分自身に歯噛みしたこともあった。そのすべての原風景の中に赤レンガの光景がある。揺らがない歩き方なんて人間には無理なこと。やり直せる、やり直したい場所がどれくらいたくさんあるのか。それが命の道の太さに繋がっていくのではないだろうか。