震災の後

冬 間近の空と雲

立て直し工事が入って、トイレが無かったり色々苦労した教会がやっと出来上がり、来月落成式の運びとなった。隣の聖ウルスラ修道院も一緒に建て替えになり今回一緒に落成式をする。
 この土地は伊達さんとご縁のある土地。ケベックの信徒が浄財をくださり戦後いち早くこの地に修道会と教会が建った。日本に新しい学校をと派遣された修道女と、新しい教会をと託された宣教師の活動のためとはいえ、現在は世界遺産の指定を受けている古いケベックの由緒ある土地を切り売りして、その当時この土地を買い、建物を建てくれた。そして今、この町の人達が震災直後自分たちの生活の中から、経費を捻出して新しく教会ができた。建物は修道会が、中の備品は信徒たちがそれぞれ負担した。ささやかな小さな出来事ではあるが、日本人が宣教地から自立して、自分たちの手で教会の維持をする時期に来たということなのだろう。長い殉教の歴史を持っているこの国でクリスチャンの人口は増えない。日本は布教国としては成功とはいえないだろう。しかし、この国の中に静かに、しかししっかりと生きて多くの仕事を見えない形で支えていることもまた事実である。それで良いのではないだろうか。tvの八重の桜を見ていないけれど、新島襄の仕事は知っている。あれもまたひとつの生き方ではないのか。
 クリスチャンであることを、いじめの材料にされたこともあった。しかし、クリスチャンであるがゆえにこの人生を選んだといえる生き方をしてきた多くの日本人がいる。教義を振りかざすことではなく、何も語らず、何も押し付けず、ただ信徒として生きることの中に、伝わっていくもの、人と分かち合うものがあると私は思っている。この小さな教会で子どもたちは生まれてすぐ洗礼を受け、息子のお葬式もしてもらった。生命の始まりと、終わりを私達家族の歴史の中に残している教会。無くなってしまったらきっと悲しいだろうと思う。形は変わっても、ここに教会があるだけでふるさとがここにあるように感じる。