こんな言葉が

お店の前に紅ばら一輪

挨拶になった。もうすぐ風が身にしみる季節になる。季節感がなくなると言われて久しいが、季節の変わり目だけは緩やかに巡ってくる。姫は教育実習が2週目に入り部活も見ることになった。今日は鉛筆デッサンを教えるとてりんごを磨いて持って行った。本当は白菜とかかぼちゃとか複雑なものが描いて楽しいのだけれど、重たいから持っていくのはちょいとね。
 どんなに荒れていても隙間のような隠れ場所に、心は逃げこむ。そこを守ってくれる人がいれば生徒たちはほっと息をついてまた教室に戻って行ける。荒れる学校と言われて久しく、またそれを職業の場所として選んで壊れていく教師たちも多く。何とかならないものかと思いつつ、わが子たちがその場所に立つことを止めようとは思わない。人と関わることがどんなに苦しくても、生きることは尊く、生きていてよいのだと伝えたいから。
 死んではいけないといえる場所に居ること。差し出されて握ることの出来る場所に自分の手があること。ささやかであっても、一人の人間がそこにいることと居ないことの差は大きいと思う。