手帳では足りなくて

まだ 雲が厚い

 中型の二年分のカレンダーを持って歩いている。一年分だけでは先の予定が書き込めなくて、自分でもうんざりしながら二年間の予定を管理するは目になってしまった。どこかで体調を崩したり、家族に病人が出たらどうなるのか空恐ろしい。ましておとなになった子どもたちは自分の仕事の都合であちこちと転勤して歩く。もうエプロンのヒモに結んでおくことはできない。いつか夫と二人だけの小さな家庭になって、私のカレンダーも予定が書き込まなくても一日は一日で満ち足りる日が来るのだろう。黒くなってしまったカレンダーを見ながら予め自分の手から消えていった「私のために使える時間」を愛おしいと思う。一日のうちにきっと輝くような美しい一瞬があるのだろう。
 誰かのために使われる、何かのための必要を満たすために、そう思うとこの時間が豊かなものであればいいなと思う。まるであの大きな一本の林檎の木のような時間だ。その時間にふさわしい生き方をしたいと思う。