阪神大震災から明日で17年

桐ちゃん

あの日からもうこんなに時間がたってしまったのかと思う。あの日のことは忘れることは出来ない。兄家族が神戸にいるし、友人が西宮や宝塚に住んでいた。生きているのか巻き込まれて酷いことになっているのかもわからないまま不安な日が過ぎた。そして今回、自分たちが東日本大震災を体験して、何があの時おきていたのかを追体験した。どちらが辛かったのかなどと比べるのはおろかなこと。御互いに辛い体験を人生の中で味わったということだ。心に深く傷を抱え込んだことも共通の痛みとなった。言葉で表現しなくても何を体験し、何を失ったのかが感じ取れる。三月から10ヶ月経って未だ何も変わっていない自分の心とめまぐるしく変化していく周りの様子と、どんどん一人一人の暮らしぶりの格差が広がってゆくことにやりきれなさを感じる。
 一人一人の違いが際立ってきて、御互いに分かり合うことが難しくなってきている。痛みを伴うこの現実の格差をどうしたら乗り越えてゆけるのだろうか。義援金、生活再建資金のみならず、地震保険で大金を手にした人、仕事を失った人、家族を失って生活再建さえ出来ない人。様々な人の暮らしがあぶりだされていくような毎日。みんな同じに飢えて寒さに震えたあの直後の一体感は最早ない。現実は現実。見ないで過ぎることは出来ない。こうして震災は人と人の間を二重三重に分断してゆくのだなあと思う。