手首が痛いなあと思ったら

回廊

手首の関節から腕に向けてバンと浮腫んで激しく痛んで動かすことが出来なくなった。使いすぎたな。整骨で揉み解してもらうが、腕と言うより何かがんがんに膨らんだハムか、肉の棒か、何かみたい。中で紐のようになった硬い物がコリコリ言っている。この紐は何かと聞いたら「固まって緊張した筋肉のスジ」これは嫌な前兆だな。いくら使いすぎだと判っていてもこの手を使わないで仕事はできないのだよ。

 湿布をはって、なるべく動かさないようにして。「そういわれてもこの忙しいときに」とぼやいたら、「忙しいからでしょうよ、こんなになってしまったのは」と切り返された。わが身をいたわっている時間などないのだなあ。昔、私が子供だったころ、母があちこち痛がってそれでも働いているのを見て、休めばいいのにと思ったことがあった。しかし休むことなど出来ない人もいるのだと、大きくなってわかった。「休めないのは自分でそんな生き方を選んだからでしょう」と言う人もいるが、人生、自分で選んだことばかりではない。むしろ選ばなかったことの寄せ集めが今の人生ではないのか。選ぶ余地がある場合なんてほとんどない。

 明日、きっと明日は少し痛みのない一日が来るかもしれない。それにしても、私の免疫はなぜ自分に向かって眼をむくのかな。ストレスフルな生活をしていると病気の形で身体が休息をもとめるらしい。あるシスターに「出会ってからずっと走りつづける姿しか見ていない。よくないね」と言われた。私もよくないなと思う。


あと少し、果たすべきことを果たしたら、潔く自分の為に楽しい時間を過ごそう。穏やかで悩みや苦しみのない時間を過ごそう。その時間くらい神様は私に残しておいて下さると思う。思いたいな。