仕事中に揺れても

玄関の内側が崩れている

感覚的に無視してしまうようで、気にならない。身体が反応しているのに、まったく心が閉ざされてしまっている。疲労感が蓄積している。これって皆こうなんだろうなと思う。眠りが浅い。食欲がない。味覚が鈍る。身体のどこかがいつも痛んでいる。そんなストレス症状は誰もが抱えているから、言葉にしてみたところでどうにもならない。街全体がくたびれている。


 家の修理が続いている。この騒音も相当なもので聞き続けているとその音だけでぐったりする。ちょうど歯医者さんで延々とドリルの音を聞きつづけていると身体に刺さってくるような緊張感があるのと同じ。攻撃的な音なんだな。だから自分がたとえ安全だと思っていてもこの音に対して身構えてしまうのは条件反射で致し方ない。まったくやりきれない。
 沖縄の人たちが、音に対して苦痛を訴える気持ちが身にしみてよく判る。人が自分の生活を楽しむためには、音の暴力を受けないことも大切な条件なのだな。それと外が見えること。空が見えず、風が流れてこない生活は、とんでもない閉塞感がある。外の様子がわからないのもまた安住感を奪う物だな。

 今まで体験したことのない沢山のことを私は今自分の生活の中で体験している。全壊ってカタチのことだけではない。生活の質を考えたら、本当に大変な状況だと思う。ただ私は思う。それでもここしか生きていく場所がないと思えばやっていけるものだ。まるで身に覚えのない罰を受けているような気分になったにしても、その中でも花は咲く。ゴーヤが小さな実をつけている。金魚の稚魚が二匹生き残って大きくなりつつある。それはとても自然なこと。ウドンコ病が蔓延してバラが絶滅しかけても、バラはつぼみをつけて小さな花が開く。この私の生活空間は例え何が壊れて、奪われてしまっていても、にもかかわらず、私の世界に変わりはないのだ。

 楽しむ。生きていることを楽しいと思う。ほっこりと笑みが浮かぶ。その瞬間を誰も奪うことは出来ない。その一瞬をつなぎとめて、拾い集めて、両の手で掬い上げて私たちは自分らしく生きていこうとしている。被災者となって私たちは生活の本質にあるもの、人生の本当の意味、生きるということに一歩迫ったようだ。この災害にあわなかったら、この命題にこれほど真正面から向き合うことはなかっただろう。悲しみ、苦しみ、失い、痛み、悼みつつ弟子か知りえなかったことを今体験していると思う。
 この震災にあってよかったとは思わない。あまりにも大きな犠牲だ。にもかかわらず、ここから出さえ、私たちは人生の問いを感じ、その問いかけに応えていこうとしている。まさにフランクルが「それでも人生にイエスという」と言ったように、私たちは自分の命の言葉で、応えて行こうとしている。