あっという間に一週間

姉と妹

気がつくともう土曜日になっている。夕べはみんなの話を聴けてよかった。物語ではなく、心の痛みを少しでも開いて流してくれたなら、何がしかのケアになっているのだと思った。
 疲労感は自分が一方的に攻撃され且つ評価されないときに何倍にも感じられる。せめて役立っているのだと思えたら、単なる業務のなかにも自分のいるべき場所、塞ぐべき穴が見えてくる。自分がなすべきことをなしていると思えたら、人は疲労の回復も、持っている力も発揮できるのだと思う。そう思いながらそれぞれの「今」を聴いた。


 私は、研修グループで一人一人のケアをしながら、もう一度それぞれが現場に戻っていくことが出来る気力を取り戻すことを目指している。私の役割はグループメンタルケアだと思っている。それぞれの研修担当者が各自の得意分野でこの震災をいかに乗り越えてゆくかを手探りしている。誰もこんな悲惨な状況が日常になっていくとは思わなかったし、自分たちもまた被災者である事が想定されてはいなかった。


 手元にある心のケアのテキストだってかいた人はこの実態を体験して書いてはいない。だからこのテキストを書き直す気持ちで向き合わなければ現実に即したケアは出来ないし、私たちが今後何十年の単位でこの被災地からの被災者地震によるケアを提供はできないだろう。しかし、この被災者自身によるケアの視点がなければ本当の手当てにはならないとも思う。


 災害時の心理状況はもしかしたらテキストが書き換えられなければならないかもしれないくらい未知の分野だったなと思う。実際被災してみて、自分が体験してみて初めて判ったことがヤマのようにある。何時か論文にまとめて置いたほうがよいかもしれないと思った。誰かの役に立つならば、今の消えてゆくこの心の変化を資料としてまとめて置きたいと心底から思った。その時間をどうやってひねり出そうか。