私の中での時間は

月が若芽を照らす

被災後一週間くらいのところで停まってしまっている。哀しいのに涙が出ない。泣けば楽になるのに泣くことも出来ない。そんなちぐはぐな自分に苛立つ。人々は懸命に日常を取り戻そうとしている。街は車があふれている。こんなにも沢山の人が誰かのために何かをしようとやってくる。いつまでこの善意が続くのだろうかとふっと思う。
 ユニクロにも、ダイソーにも、西友にも、ヨドバシにも、いたるところに沢山の人が詰め掛けて、レジは行列が出来ている。生きるために必死なのだと思う。何も無いから、せめて着る物を買う。せめて食器を買う。せめて何かお腹を満たす物を買う。あまりにも一生懸命なので、私は何も買う気持ちになれなくなってしまった。
 震災からこの方、随分沢山の花を買った。繰り返し買った。今テーブルの上に花があふれている。あの子が亡くなったときとおんなじだ。
 きっと私は辛くて辛くてたまらないのだと思う。波の中で、家の中で、道の上で、車の中で・・・・何と沢山の罪無き人々が、何も言えずに、何も伝えられずに亡くなっていったことだろう。おおーい、おおーいと呼び戻したい。
 一ヶ月が過ぎもうすぐ二ヶ月になろうとしているのに、あの日から一週間くらいのところで、心の時計は停まっている。
 私は、私にできる事をしよう。そう思ってただひたすらに毎日自分の精一杯のことをしてきた。決して大きなことはできないのだから、小さなこと。誰にも気にも留められないような小さなことを繰り返し繰り返しやっていく。辛くないかといわれたら、辛いと答える。皆も辛いだろうと答える。もっともっと辛いだろうと答える。そしてだけど生きていくからと答える。
 震災の写真集が沢山出版され、遠くの人もお茶の間で震災の様子を見ることが出来るようになった。どうかしっかりと見て欲しい。この写真に在ることの、何百倍も縦にも横にも現実は厳しい。だけど、みんな、年よりも、子供も、若者も、貧しい者も、豊かな者も,生きていく。同じように見えてもすでに格差の生まれている中で文句も言わず一日また一日と生きていく。諦めることも、我慢することも、勇気を持つことも、皆しっかりと抱え込んで一歩、また一歩と歩いていく。
 誰が悪いといえないではないか。受け入れねばならないこともあるんだと思わなければ次の一歩が出せないではないか。


ああ・・・・
もう少し歩いていったら、
日の射す丘に出るのかもしれない。
そうしたら腰を下ろして一休みしよう。
今はもう少し先に進もう。
大丈夫。
きっとこの旅は終わるから。
何時か穏やかな微笑みの中に終わるから。
そういって抱きしめてしっかり抱きしめて。


苦しみだけの人生なんてないんだよ。
きっときっとよい日が来る。

嘘でもいいから、
そういって今揺れる私を抱きしめて欲しい。