さんぽ



 家にいても建物の修復工事の物凄い音で頭が痛くなったので、お天気のよさにつられてしばし脱出。

歩いて榴ヶ岡公園まで行く。梅の花が満開でここには地震のあったことは感じられない。長く歩くと傷めた足の怪我が痛いが、何とかだましだまし歩く。仕事で手続きに行かなければならない指定の郵便局も確認した。
 途中の家の屋根のかわらが崩れ、ブロック塀が崩れ、壁にヒビが入り窓がわれ・・それが見慣れた風景になっていることが哀しい。
 公園は花が咲き乱れ、幼い子がボールをたどたどしい足で追いかけていた。広場に民間ユネスコ発祥の地のメモリアルがある。佐藤忠良若い女性像だ。毅然としたさわやかさが印象的な彫刻。

 大きな木立がすっくと立っている。この木々も1000年に一度のあの揺れは体験したことが無かったのだな。びっくりしただろうなと思った。あの地震以来、出会う物すべてがいとおしい。よくぞ生き残ったね。何よりもあんなことがあったのに、いつもと変わらぬ姿を見せてくれていること。
 生きるってこういうことなんだなあと思った。鳩の群れが近寄ってきて手からビスケットのくずを食べる。あまりいじめられたことが無いのだろう。私たちが失ったのはこういういつもと同じ様々な小さな嬉しさなのだ。
 駅まで行き、親分は歩いて家に戻り、私と姫は駅の反対側に渡ってバスで帰ることにした。バスが一時間に一本の休日ダイヤ。48分待つことに。もう行列して立っている事にはすっかり慣れてしまって、一時間くらいならなんとも思わなくなってしまった。