今日は一日

すっかり秋の黄昏色

 悲しみに寄り添って過ごした。受付にいた私に身体を投げ出すようにして「聞いて・・・」と話し始められとうとうグループの分かち合いに入ることなく午後まで胸の中を語り続けられた。痛みがどんなに辛くてもそれが愛情の深さを教えてれる。私に出来ることはそのひとつひとつの言葉を救い上げて渡すこと。こんな気の遠くなるような、ささやかな心を重ねあうこと、聴き続ける長い時間の経過の果てにしか生きる力はわいてこない。
 自死遺族の抱えている困難は頭でわかって理解できるものではない。人生が一瞬にして崩れ去りそこからまた新たに生き直してゆく作業は口で言うほど単純ではない。砕け散ったかけらを一つ一つつなぎ合わせ、またそれを眠らせる作業は時間と気力の要る作業だ。
 水が天から降り、やがて小さな流れとなり海に注ぐように、人の悲しみもまた一筋の流れとなって海に注がれてゆく。私はその喪の作業の立会人なのかもしれない。