引き受けてのいない

桜の天井

 朝早くの仕事をしてきた。まだみんなが眠っていたい時間に仕事をすると「お仕事をした」という気分になる。SVをするのはなかなか重たいので気持ちが整っていないと集中できない。何とか自分の訓練と思って四月から五月は早朝にSVを引き受けようかと思う。仕事や諸事情でこの時間のシフトを担当している人たちがSVをなかなか受けることができない実情を見て、そう思った。私にとっては少し身体がきついかな・・五月はギュダ君の亡くなった月だから、せめてもの彼への思いを込めて緊張して日々を暮らしたい。生活の中で流されて過ごしたくは無い。
 もうこんなに遠くへ来てしまったのだと思うと、悲しみが消えていないのに記憶の境目が消えてゆきそうで、心がざわめく。こんなに美しい季節に旅立っていったわが子を抱えて心に抱いて、今日まで生きてきた。そしてきっと私はまた明日も同じ思いを刻みながら生きてゆくのだろう。桜の散り行く中、命日がやってくる。私の中で時間は流れているようで、あの日でとどまったままだ・・・