情報伝達・・気持ちを伝える

 昨日いきなりワインが飲みたくなってドイツワインを買ってきた。たかがグラス一杯のためにと思ったけれど、この一杯にどうしてこだわったのだろうか。思い巡らして、はたと気がついたのは、亡くなった父と酌み交わしたかったなと思ったのだろうということ。もし、こんな時間があったなら彼と何を話しただろうか。子供たちのこと?いや、私は親分との生きてきた時間のことを話したかったのかもしれないな。母たちに語ることはしなかった.jijiにも言ったことはなかった。いいことだけを作り上げていくなんて事は普通の夫婦には無理なこと。一緒に生きてくれば言葉の底に仕舞い込むことも沢山ある。もしかしたら、彼ならば煙のように消えてゆく言葉の行方を、共に見つめてくれたかもしれないなと思った。確かめたことが無いからゆえに。
 言葉・・・言葉。情報伝達のうち担うのは30%の部分だけ。のこりの70%はノンバーバルな手段によるもの。その30%を私たちは100%でもあるかのように思って生きている。それが分かっていても言葉が持つ力を信じたいのは、唯一情報を出した本人が自分で出した情報を確認できるからだ。ノンバーバルな情報は発信している本人がその情報の確認ができない。本人自身、自分が無意識に出している情報に気がつかない。相手にとって情報は伝わっているのに、発信している本人は認知できない。これは怖いことだが、これが対人関係の現実だ。私たちは日常的に無意識に70%の情報を30%の言葉の補いとして使っている。本当はその逆なのに。誤解はそこから生まれる。