七月

ベランダの菜の花

 一年の真ん中の月。いよいよ忙しさに拍車が掛かる。自分のことばかりではなく、研修が三本入っている。中々厳しい日程。外は雨。ざわついた気持ちをなだめてくれるから雨は好き。洗濯ができないとか色々あるけれど、それでもカッと照りつけられるよりははるかに心地良い。日光に弱いからかもしれない。頭が痛くなって困るから直射日光は苦手だ。子供のころから辛かった。今は日に焼けることは余り健康にはよくないといわれていて、直射日光を避けるのは常識になっているが、私が幼かったころは子供の癖に変な子だといわれて辛かった。外で遊べない。日陰をたどって歩く。まあ過去というものは何の前触れもなく蘇ってくるから、いきなりその時の感情に晒される。この感覚ってサルトルの「嘔吐」のシーンにあったな。あれを読んだ時、判ると思った。文学って面白いものだ。知りえない私の心があらかじめ文章化さtれてここにある。人間の心というものはどこかでお互いに寄り添いあっているのだなと思った。13歳の夏のこと。初めて現象学に出会った。面白くて心が震えた。その体験が私のものの考え方の原点にあると気がついたときのあわ立つような感覚。自分が何処から来たのかがわかったように感じた。夏の朝早く光の向こうに自分の影が流れてゆくように感じた。確実に、私はあそこからきたという感覚。言葉で説明することは難しいけれど、人はそうやって自分という意識を手におさめるのかもしれない。ユーレイカの瞬間。