病むということ

 虐めによって心の病気を発症する人が多いなあと感じる。幼いころの虐めの恐怖から幻覚・幻聴が出て、そのまま現実に距離を持って生きる人と出会うことが多くなってきた。一つには行政が入院治療ではなく在宅やグループホームでの生活で地域の中で暮らす方法を打ち出してきている為でもある。聞き取りをしていて、過去に強烈な虐められ体験を持っている人が多い。病気だから虐められるというのではなく発症はその後に起こっている。引き金を引いたのが虐めであったのか、虐められ体験がストレスになって発症したのか詳しい研究を調べてみなければならないが、いずれ虐められ体験が関わっていることは確かなようである。愕然とした。人の生涯をこんな形で奪ってゆくいじめとは何なのだ。虐めた人たちは自分達が人の一生を破壊したことを知らないまま自分の人生を謳歌しているのか。コレは赦しがたいことだと思う。人から生きる喜びを奪い、その家族に重い十字架をになわせていることの償いをしもしないで「忘れてしまった」「過ぎてしまった」「若かったから」で済ませてよいのか。そんな思いを抱えている。
 今日もそんな方を訪問した。人は人によって生きる足がかりを作ってゆく。私がその方の足がかりになり、自分らしく生きることができれば、失われた時間に対する怒りは少しだけでも薄れてゆくのではないだろうか。そう願いながら時間をともにしている。