落っこちた

 体育の授業で姫が跳び箱を飛び損ねて背中をしたたかに打ち付けた。余りに痛かったので自分で行きつけの整骨医院に行って揉んでもらったという。まあこんな時施術者に顔馴染みがいることは安心だけれど。私も彼女と同じ年齢の時、授業で平均台から落ちて尾低骨にひびが入ってそれから今も体が疲れると痛みが出るから、少し気になる。痕に響かなければよいのだけれど。
 人間の身体はこうやって些細な日常的な怪我の積み重ねで、生きている限り壊れ続けてゆくものなんだなあと思った。私の担当している方で、脳梗塞で半身麻痺担った方がいる。人生の何もかも失ってしまったというけれど、まだ若いその方に残された時間は長い。死ぬまでの長い時間をどう過ごしてゆくのか。機能を失ったとき、今後残っている時間をどのように生きてゆくのか。失ってしまったものを取り戻すことが出来なくても、残っているものを生かして生きるためのの心のケアをきちんとしなければ、その後のその人の人生のQOLを高めてゆく事は難しい。身体機能のリハビリと同時にグリーフケアをすることが大事。
 今の日本の医療では機能を失った人に対するケアが何もなされていない。心のケアをしないで体の回復だけで放り出している現実は余りにもむごい。今後の医療現場の課題だと思うのだが。希望を取り戻すときやはり誰かが側にいて、一緒に向かっていこうと支えることが必要。余程意志が強くなければ独りっきりの人生で目標を持ってリハビリしてゆくことは難しい。出来たら出来たことを確認し、一緒に喜んでくれる人がいない人生は厳しい。そういう同伴者、共にいて同じ夢を見ることが出来る伴走者が人生には必要なんだと思う。アレほど「決められた以外の仕事をするな」といわれていても私はそういう仕事がしたい。きっとまた呼び出されて叩かれるが、私は一緒に夢を見る。