帰りの時間があるので

御聖体のエンカウンターミサ

 ミサに与ることが出来ずそのまま帰ってきた。この三日間私は沢山の人に人生を見つめた。勿論自分自身の人生も。わたしが自分の心に深く根を張っている悲しみに今まで感じていたやりきれなさのほかに懐かしさも感じていることに気が付く。この痛みは今初めてのことではなく既に幼い私の中にもあってそれが私自身の中で成長する間も消えずに残っている感覚なのだと気付く。この感覚を取り去ることは最早私には無用のこと。この悲しみがあるから私は人を受け入れることが出来るのだと気付く。
 生きていく中で無駄なものはないのだなあと思う。ただそれは本人がそう思わなければ単に外から押し付けられた対処法でしかない。その気付きにいたる道は本人次第。いかにこちらが言葉で連れて行こうとしても、その人自身がその必要性を感じなければ無理なのだ。