大きな事故もなく終わった

パリ・シャルトル大聖堂

 担当した方で入院したり施設に通うことになった方はいたけれど、亡くなった方がいなかったのはシアワセだった。認知症や症状が進んで最早暮らせなくなって施設に入って、あれよあれよというまに別人になってしまった方もいた。胸が痛い。人は好きで病気になるわけではない。しかし病気になって進行していく中で今まで隠れていた人格が前面に出てきて、最早かかわりが継続できなくなる場合もある。私の仕事は人生の最後の近くの寄り添いが多いので、その方の人格の最後の姿を目撃する。人は生きてきたように老いて死んでゆく。まさにその通り。最後の日々に今まで隠れていた生々しいその人の別の姿がその人を支配するのもまた現実。本人には選ぶことができない。望まない姿で一生を終わってゆくのは悲しいものだ。どうにもできないからなおのこと悲しい。
 振り返ってみれば今年一年、怪我はしたけれど豊かに過ごせたと思う。自分のやれる限りのことはやれたかとも思う。仕事だけではなく一人のボランティアとしても自分なりに思うところを奉仕できたように思う。比較的時間も健康も恵まれたからだろう。自分に甘くならず、人に厳しくならずありたいものだと思う。とても難しいけれど。