何かと仕事が溜まっていて

パリの八百屋さん

 個々に立ち寄ることさえ叶わなかった。今日はこれから一月の講演会のパンフをNPOの事務局にとりに行って配布先にお願いに行く。午後から仕事が入っているのでそのまま回って、残りの時間でお世話になっているシスターにささやかなプレゼントを贈ろうと思った。けさ早く小さな荷物が届いた。
 もう三十年間、季節ごとに贈り物を送ってくださる。まだ上の子が幼稚園時代からだから私の暮らしぶりが体力・時間両方とも大変そうに見えたのだろうと思う。その方の変わらない暖かなお心遣いに幾度慰められたか知れない。
 「与えるだけでは駄目、人は受けることで学ぶものです。そのバランスが貴方は悪い。」
幾度も教えていただいて「でも頂くことは自分からはどうすることも出来ません」と戸惑う私に、こうして贈り物を下さるようになった。自分のものを持たない修道女から贈り物を頂くことは身の縮む思い。物では表しきれない「贈る心」があることを私は受けて初めて学んだ。それも一回二回ではない。復活祭とクリスマスに必ず私の手元に送られてくる。中にはいつも手縫いの雑巾が何枚か入っていた。それとチョコレート。暖かな肌着が入っていたこともあった。思いつくままに入れられた様々な品物は私から更に誰かに送られることもあった。一つも無駄になったものはない。 
 ご高齢のその方のように私は自分の心を伝える努力をしているだろうかと思う。人生の師と呼べる人をもてた私は幸いだと思う。自分のものを持たない修道女に何を送ったら受け取ってもらえるのだろうかと悩む。