何時の間にか肩に力が入って

兄と弟

 まあ、気がつかないうちにこんなに力が入っていてはいけないね。あちこちネットで検索していて、もっと穏やかにやわらかく私らしい空気を。という気持ちになった。こんなに力が入っていたら、本来の私たちのグリーフワークの暖かさが伝わらないではないか。
 やめたやめた。もっと普段の暖かな空気を取り戻そう。本当に伝えなければならないことはそんなに重苦しいものばかりではない。もっと当たり前の心を感じ取れるような柔らかなものなのだ。
 さまざまな団体の資料を読みながら、自死遺族という巨大なデリケートな生き物であるかのようなかかわり方に違和感を感じてしまった。たとえ遺族であっても、ごく普通の人たちなのだ。だからごく普通に、しかし不用意に傷を広げない形で関わっていくことが必要。そのために援助者が出来ることは何か。まず相手に自由にそこに居る権利、発言する権利、沈黙する権利を保障し、援助者は支えに徹すること。当たり前のことが、本当に当たり前のこととして行われているのだろうか。そのことが気にかかる。遺族はある日突然強制的に遺族になって、心に深い傷を抱えながらも、そのことは心に納めて、今も普通の人として暮らしている。自死遺族支援のそれぞれのあり方があるのは当然だが、資料の中から伝わってくるもののどこかに不自然さを感じ取ったからだと思う。ならば、これから私たちはどこへ向かって歩きたいのかと思う。
 その答が見つかるのか分からないけれど、不自然な形でのケアはお互いに苦しくなるだろうと思う。色々考えながら、今できることを今やろうと思う。
 思い巡らし少し気持ちが重くなりすぎた。気持ちをやわらかくするために今日の写真はギュダ君とジョナサン。亡くなる一ヶ月ほど前の写真。まるで本体と影のように寄り添っていた二人だった。
 見ているこちらまで幸せになるような兄弟だった。

 さあ行ってきます。


 宮城蔵王は寒さが厳しいとのこと。静かな穏やかさの中で研修が終わることを願いつつ、行ってきます。写真撮れたらいいなと思います。


 聖霊の風が吹きますように・・・・お祈り下さい。
 私達が道具としてよく働きますように。