遠く地の果てまで

 行け、行け、地の果てまで♪と派遣されてゆく典礼聖歌があります。静かに畳み掛けてゆく歌です。ボレロのように前に前に通しだされてゆく高揚感があります。司祭の叙階式の派遣の歌に良く使われます。
 昨日の夜は立て続けの電話で、私の予定は今年度以上に込み合ったものになることが分かり7月までのおおよその分かった分の予定を書き込んでいて途中でやめてしまいました。
 明日生きているか分からないのが命の宿命。それをこんな風にあたかも全てが予測のうちに無事収まってゆくような生き方を、突然たまらなく感じました。この気持ちの嵐は一時の感情だと分かっているし、こうやって一日一日、私はつつがなくこなして生きてゆくのだと思います。たとえそうであっても、この日々が確実に自分の手の中にあるとは限らないのだと、その謙虚な気持ちを忘れずに生きようと思いました。


 私が今まで生きてきたことは皆私にとって肉となり血となって今の私の歩みを支えています。これは現場で出会ってきたクライエントが苦しい人生の中で私に与えてくださったものです。ともに苦しむことを許し、ともに涙することをゆるしてくださったお一人お一人が下さったもの全てが、今の私のこの歩みです。そのことを忘れて、あたかも全てが自分の力で手に入れたものであるかのように、会議や研修担当の日程を書き込むことにおごりを感じました。私が果たすべき役割をまるで自分の存在理由のように当然のことと受け取っていることに違和感を感じました。あたかも忙しく求められることが自分の評価ででもあるかのように思ってはいないだろうか。


 この頃、現場に向かう車の中でこみ上げてくる思いがあります。それは、私にとって切なくも胸にあふれる暖かく切ない気持ちです。親分が生きてきた人生を唐突に思い浮かべてしまうのです。
 彼が自分の人生の夢からは大きく離れて今の仕事に就いたとき、私はそれが「親となる人」の当然の勤めだと思っていました。彼が最も忌み嫌っていた人間関係の利害、地縁、血縁、コネ、権力志向・・その全てに巻き込まれもみくちゃにされ、それでも自分らしさを守り続けて私たちを守り、共に生きてくれた彼の人生。彼は後悔してはいないのだろうか。別の生き方が出来たのではないだろうか。奪ってしまったのではないだろうか。私自身の後悔の念があります。彼の才能を知っていたがゆえに思い気持ちです。
 彼がこの人生を悔いることがありませんようにと祈り、その苦しさに見合うだけのものを私は彼にギフトしてきたのかと思います。責める事の多い日々ではなかったろうか。私と子供達に求められ続け与え続けてきた人生ではなかったのか。
 私達は、彼から彼らしい生き方を奪ってしまったのではないだろうか。彼が今年一年で現職を去る気持ちでいると気がついた時、私の心は揺れていました。まだ教育費のかかる姫をどうするのか。そこに、彼自身の人生はどうなるのかとの視点はありませんでした。
 あらかじめ彼はこつこつと長い時間をかけて、子供の教育を支えるだけのたくわえを用意してくれています。それでも私は給料の形で生活が保障されることを望んでいました。


 クライエントの訴えを聞きながら、私は自分と親分のかかわりの姿を心の中で整理していったのだと思います。仕事を通じて、私は私自身と出会っていったのでしょう。それが無心に車を運転しているときこみ上げてくる思いとして形になってきたのだと思います。12歳の出会いの日から人生のほとんどを共に過ごして来て、初めて今までの出来事がどんな意味を持っていたのかに気づく、おろかな自分に思い至ります。


振り返れば何一つ無駄なものがなかった私達の人生。意味のないことは無かった気がついて、これからの一年を当然のこととして生きることはしたくはない。一日一日をいつくしんで生きていこう。そう思います。唐突に、余りにも唐突にそう思い至りました。そして街を車で走りぬけながら祝福されて生きてきたことを深く深く思います。愛されることに気づかず、愛していることを伝えず過ぎて行った多くの時間を今静かに手繰り寄せて光にさらしているように思います。今まで読むことの出来なかったものをやっと読み取ることが出来るようになったと感じています。年を重ねることは大いなる恵みです。
改めて、地の果てまで私達は行こうと思います。