姫がしでかしたこと

 夜中にさあ、寝ようと言うときになって布団周りを片付けはじめ、棚からインク便が落っこちてふたが開き、絵に描いたようなお決まりのコース。羽根布団カバーから何から皆黒いインクに染まり、親分は叱らない人だから黙々と何も言わず汚れ物すべてを洗剤につけ何とか寝ることができるようにした。私は一度は起きたが、今更叱っても致し方ないのでワイシャツとインク汚れは別に置いておいてと頼んで寝てしまった。
 NHKの高校講座が面白くて昨日は東大の教授が倫理の講義をしていたのをラジオで聞いた。とても判りやすくて納得した。その後今度音楽の時間に歌の試験があってその曲をやると言うので音楽の授業は姫にそのままラジオを手渡した直後のことだった。どうしたのかなと思っていたらかすかにカロミオベンを歌う声が聞こえたので「ああ、よかった。聞いている」と思って寝た。とがめることは極力したくないと思った。せめて眠る前は穏やかな気持ちを守りたい。
 親分の仕事が忙しかったころ、眠りに就くこのわずかなまどろみの時間しかお互いに向き合う時間が取れなかった。長い間この時間は怒りと困惑をかみ締める時間になった。お互いをいたわることではなく一日たまりにたまった感情の嵐が凝縮されてとても苦しい時間だった。語り合いたいのに語り合うことのできないむなしさや、いたわることさえ赦しあえない怒りがあった。幾度もこれって夫婦と言うよりも敵じゃないのかと思った夜があった。取り残され時間別居を感じいつか諦めが心の中に大きく広がっていった。共に生きると覚悟して自分の時間も相手の時間も共有してその中で生きてきたはずなのに見知らぬ相手と一緒に居るような居心地の悪さを感じたときもあった。他人が共に暮らしているのだからお互いに分かり合おうとする努力が必要なのに、それが怒りになるならばもう何も言わない方が良いとさえ思った。そして今思うのはだからこそ穏やかな眠りの時間が必要なのだと言うことだ。眠りは擬似的な死であり、人は眠りの中に死んで自分の傷を癒す。朝また新たに生きることを期待して眠りに就く。この限りなく優しい眠りを妨げてはいけない。自分の努力でそれができるものならば私は努力しようと思った。
 夫には時間をずらして一人になりたいと思うときがあるのだろう。ならばそれもまた受け入れてゆくしかないなと思う。私がその時間に何を思い何を感じているかはまた私自身の中でひそやかに形となってゆくのだろう。長い時間をかけて私は私の時間をつむぎ一枚の織物を織ってゆく。その図柄を私以外の人が見ることはないだろうけれど。人は皆孤独に向き合い孤独な時間をつむぎながら生きてゆく。配偶者がいようと独身であろうと人の心の孤独はその人をその人たらしめる大切な部分だと思う。その必要を感じない人には無用のものに感じられたにしても、死の間際にこの孤独の描いたものを私達は自らの生きてきた結果として見直す時間があるように思う。このごろ私は死に近くある人が抱えたこの孤独の存在を見過ごせない気がしている。