心に区切りをつけて

どんと祭のちょうちん

先へと進もうと思った。自分がどんなにあがいてみてもこの自分をどう黙らせることもできないのだから、もはや痛みの中に共存してゆくことを楽しむしかない。時々は痛みが苦しくて身動きが取れないときがあってもそのときはうずくまって動かない。動けるようになると信じてうずくまることを自分に許す。また歩けるようになったら先へ進む。ゆったりとした生き方ではあっても自分の歩みを止めることはしない。あなたが私にしてくれたように私も誰かにしてあげよう。その程度のことしか出来ないとわかったら潔くその自分を受け入れよう。今まで余りにも重いものを担いで歩いてきたと分かったからもうこの辺でさらりと生きることを自分に許そう。
 肩の痛みは重い荷を肩に担いで歩くことはもう無理だから一度おろしなさいということだったようだ。これがもはや限界だよと思ったときこの限界を受け入れなさいという思いが湧いてきた。家族の中のことも,NPOのことも、仕事のことも皆私の中でぎりぎりの線を踏みわたる思いだった。もう少し楽に生きてもいいではないか。私は自分に与えられた介護の分担は一人で果たしてきた。これ以上背負えないのならば、これ以上家族を犠牲にはできないと伝えてゆくことしかできない。人生のほとんどを病人と老人を看取りながら生きてきた。義務として抱えていた介護と看病が今ひと時だけ私の肩から外れた。もう私を頼りに命をつないでいる人はいなくなった。死んでゆくものは自分の苦しみから解放され、看病するものはその労苦から解き放たれる。悲しいことであっても、それは悪ではない。
 そして私自身が今ケアすべきなのは自分自身だと思い至った。この長い年月、私は自分の身体の警告を無視し続けてきた。やっと自分の事を見る時間ができて気がついたのは、自分もまた健康ではなかったということだった。ここしばらくの身体の不調は私にとって大きな不安だった。表立って病気が悪化しているわけではないが身体の中に不協和音があった。心身が悲鳴を上げているのに、省みないで自分を酷使し続けることは決して正しいことではない。
 物理的な胸の痛みと連動した左肩の痛みが意味するものを考えたとき、人生を楽しみながら生き続けたいならば、今自分を守ることを本気で考えねばならないと思った。心と身体のメッセージをきちんと受け入れて生きてゆこう。
 そこまで思い至ったときなんだか吹っ切れた。色んな「ねばならないこと」がこれほど重かったのかと思った。私もまた一人の人間であって人生を自分のものとして生きる権利を持っているのだもの。