学習依存症

 何か不安なことが起こってきそうなとき、私は何か学んでいると落ち着くらしいことを発見。典型的な学習依存症なのだろう。引越し先が決まらぬままに物の整理をはじめ、何を残し何を捨てるのか仕分けをしている。それぞれ一緒に暮らす人の分と別れてゆく人の必要分と仕分けしていると、なにやらもうこれでお別れねという気分になる。心のどこかで望んでいるのだろうか。思えば人生のほとんどの時間を限りなく二人で生きてきて、ここいらで私は私、あなたはあなたという生き方をしてみたいのかもしれない。この人がいなくて困るのはタイヤ交換のタイヤを車に積み降ろしするときくらいではなかろうか。私もまた彼にとって必要不可欠な生活アイテムではないと思う。などと思い至るともう放送大学の講義の垂れ流しが始まる。講義を聴いていると不思議と冷静になれる。今私は何をなすべきかが見えてくるから不思議。離婚したいのならば今までに幾度ももっとふさわしい必然的な設定があった。放送大学の講義程度で落ち着くくらいのものならば「はははは・・・」と笑って済む程度のことなのだ。きっと・・・