こいつもあほだ

 視力が悪いのに娘はまた眼鏡をなくした。前回こっぴどく困ったので今回は私にばれないようにひっそりと困っていたらしい。この母をごまかせるはずも無く、不自由そうな生活ぶりを見抜かれて
「またなくしたね」
といわれ、アワアワして探している。こいつも学習しないヤツだ。やっと積み上げた箱の下の段の箱の中に隠れていたのを見つけて「あああった」。ふん、もう首からぶら下げているがよろしい。この人たちと一緒に暮らしていると、私はいつも何かの後始末をして、探しているようなきがしてくる。だから愛を込めて叫ぶ。
お前もあほだ。
 聖書には兄弟をバカだと呼ぶものは地獄に落ちると書いてあるが、聖書の訳は本当にバカという言葉なのだろうか。私があほと呼ぶときそこにそこはかとない愛情を感じるのだが。おそらくこの言葉はもっと違った意味合いを含むのだろうな。大阪弁に近いニュアンスを私は感じているのではなかろうか。私はいつも家族のしでかすどじに怒りを感じない。しみじみと「アホだなあ・・・」と思い後始末をする。