生きにくさを思う

 9人の人の話を受け止めた。限界に近いと思った。頭の芯がjinjinして一休みをしたくなり、私の今日の限界はここだなと見切った。部屋を出て自分のためにコップにいっぱいの水を汲む。一口飲めばもう飲みたいとは思わないのだ。このいっぱいが切り替えのスイッチだ。いったん今聴いた話をすべて心から放つ。
 私の抱え込むことではない。この切り替えがまずいと引きずってしまう。笑う。自分にお疲れ様を言う。誰が私にケアをしてくれるわけでもないからセルフケアを心がける。いつくしむことを忘れたら悩みに流される。踏みとどまるために私の中に生きていることがこんなにも嬉しいと言う恩いをよみがえらせる。人生は思い通りにはならない。しかし生きてあるこのときをささやかでもよいから、よきものと思える一瞬を自らの手で見出さねば。人がしてくれることは期待してはいけない。それは私の人生なのだから。私のクライエントで朝おはようで人の恨み言をメールでよこし、夜一日の怒りをメールで送って締めくくりとする人がいる。よほどでなければ返信はしないが、そのつど私も暗い気持ちを味わい苦味を感じる。毎日これが繰り返される。いっそ読まないでと思うが、何かあってはいけないので読む。この人は私の喜びを奪っていることに気がつかないんだろうか。気がつかないが確実に害をなしている。
 私は自分が受け取ることでほかの誰かがこの害を受けることを防ごうとしている。それもまた私の仕事のひとつだから。つくづくいやな仕事だとは思うけれど。幸いにして私は仕事として受けている限り自分の尊厳を傷つけられることはない。守られている。