余程疲れていたらしく

気が付いたら討ち死にしていた。ココ暫くこんなことはなかったのに。何てことだ。疲れが溜まってくると優しさがなくなってくるから要注意なのだが、このところ神経をすり減らすような仕事ばかり立て込んでいた。もっとゆとりを自分で作らなければそのまま自分に跳ね返ってくる。そう思って意識して自分のために時間を造らねばと思う。家事から切り離して純粋に自分個人のために時間を作るためにはそれなりの覚悟が必要。自分自身のための文字を書き続ける意思、絵を描く意思。時間がなければないでもいい。それでもなお諦めない意思を持たねばと思う。一歩前に踏み出したい・・・・。
夢を見る事を恐れてはならないと呟く。何時までもこうありたい姿を追い求めて生きていいはずだ。かくありたい自分がはっきりしてくれば今を生きることが少しだけ楽になる。今耐えていることが無駄ではないと分かったらもう少し先まで歩もうと思うかもしれない。見果てぬユメではなく現実にかくありたいと願うことは可能なはずだ。何歳になっても最後のその一瞬まで人は明日の自分を追い求めてもいいはずだ。駆け抜けるように人生を過ぎて行くのもいいが、私にはきっともっと地道に一歩一歩踏みしめながら確かめながら歩みを進めてゆく生き方が与えられているのだろう。ドン臭いけれど諦めない、投げ出さない。そう思いながら今この時をつむいでゆく。そんな大地に足のついた人生を生きてゆきたいと願う。毎日孤独なお年寄りや障害者と向き合っていると人間らしいという事はどういうことをさすのか、人間の尊厳とは何か、シアワセとはどんなありかたなのかと自らに問いかける。そういう私自身はどうなのか。己自身のあり方と正直に向き合ってみる。