私は怒っている

一瞬だけもっと軽く洒脱に暮らしたいとも思う。それが出来ない理由も分かっている。理由は私の心の中にある。
 人生の入り口で亡くなったあの子の無念を思うときいつも自分がしてあげられなかったことが痛みとして戻ってくる。もう少し生きていてくれたら自分の力で楽しい人生を考える事もできただろうに、もっと君らしい喜びの持ち方もあっただろうに何もかも未完のままなくなっていった無念さをただただ胸に刻む。だから私は軽やかになれないのだ。

ある人が「何時までも悲しみを抱えていて。悲しみすぎる」といった。


一人の命を引き継いで、その痛みを受け止めて生きてゆくことは年月や、流れていった時間の長さや、自分の生活環境の変化でチャラに出来るようなものではない。私がどんなに生きる姿が変わろうとも、あのときのあの痛みは決してなかったことにはならないのだ。


私があの子にしてやれることはもう何もない。死んでしまったものに償う事もわびることもできない。ただ淡々とあたかも一緒に生きているかのようにひたむきな気持ちで自分のあがないを果たしてゆくだけだ。


その事を思うとき『何時まで』とか「まだ」とか言う発想は起こってくることはない。最早永遠までこの償いは続く。


人間にはどうすることもできなかった。あの子の運命だったとは思えないのだ。もし運命だと言うならば余りにも悲しくむごい人生ではないか。青春の真っ只中に死なねばならない運命など何故あの子が背負わなければならなかったのか。あんな天使のような少年が。


そう思うと私はその人に言いたい。


あなたが遊びまわり楽しんでいるその時間の長さの何百倍もあの子は痛んだのだと。


慰めに形を借りたその人の身勝手な冷酷さを受け入れることは出来ない。