梅味噌

 青梅が出たので、梅味噌を漬けた。今年の出来はどうか楽しみ。何回かに分けて少しづつ時期をずらして作ろうかと思う。この前作ったのはギュダ君が亡くなった春だった。何かしていなければ気持ちが辛くて沢山の梅をつけた。あちこち差し上げて食べきってしまった。今食べているものがなくなってしまうのを一番残念がっているのは親分。この人は意外とくちばしが長い。あれこれとおいしいものを身体で覚えていて忘れない。食べさせ甲斐がある。作れば作っただけ幸せそうに食べてくれるとついいっぱい食べさせたくなってしまい、とうとうカロリー計算の必要な人になってしまった。
 梅味噌はほのかにふるさとの香りがする。さっとあぶった魚に塗ってもよし、お豆腐の薬味によし、そうめんにも合うし、熱いご飯にもおいしい。梅干は駄目でも梅味噌なら食べることが出来るという人も居る。私は一体何時どの時点でコレとであったのだろうか。ラジオで聞いて作ってみて「あっコレは昔知っていた味だ」と気付いた。亡くなった母が何時の時か作って食べさせていてくれたのだろう。かつて食べて記憶から消えていて、また出会って懐かしさがこみ上げてくることがある。亡くなった母は私の舌に思い出を刻んでいってくれたのだと思う。梅味噌も、冷やし汁も、とろろご飯も、水餃子も、万頭も、釘煮、伽羅蕗・・・・数え上げていったらきりのないほど沢山のふるさとの味を残していってくれた。その一つ一つを自分の手が覚えていることも嬉しい。母から娘にいつの間にか伝わっているものが何と多いことか。母がしてくれたように私は娘達に伝えているだろうか。