今年の夏

あの雲の向こうにきっと

蛙ちゃんが結婚する。そこで親分と麦でアヴェマリアを贈ることにした。以前は教会でよそ様の結婚式にお頼まれして夫婦でアヴェマリアを歌っていた。指輪の交換のバックに歌う。せめて娘の結婚式に贈りたいと曲を選んだ。この誓いが守り通されますように。幸いでありますように。モーツアルトもグノーもシューベルトもたくさんあるほかの作曲家の楽譜も見ながら美しいのだが私達の気持ちにしっくりこない。ああこれだと選んだのがカッチーニの曲。男声の聞かせどころが難しいが彼の声は伸びのある高音を持っているのでいけると思う。『泣いてしまいそう』と親分ポツリ。そうだよなあ。息子と娘ではこんなにも違うのかと思うくらい切ない。歌の出来不出来よりも泣かずに歌いきれるかが勝負かも。朝二人で音合わせをする。ギュダのボーイソプラノを思いながら歌う。あの子の声には光があったな。澄んできらきらする凄い声だった。思えば何かあるたびに家族で歌を歌ってきた。嬉しいときも悲しいときも何時も家族の歌声があった。コレが私達の原点かもしれない。家族で聖歌隊が出来るのは本当は得がたいとだったのだ。いつか二人で歌えなくなるときが来るのだろうなと思いながら自分のパートを歌う。ゆっくり音を合わせて行こうと思う。本当は私もこの曲は涙が止まらないのだ。ポロポロ涙がこぼれる。なんて切ないアヴェマリアなのだろう。歌詞も無駄なものは何も無い。繰り返すアヴェマリアだけ。万感迫る思いがある。あの子と三人で歌おう。