些細なことで

mugisan2006-12-26

朝早くいさかう。お互いに思い込んでいることがあって相手の思いを確認しないまま食い違っている部分がクローズアップされてやりきれない気持ちになる。夫婦を長くやっていると幾度も同じ事を繰り返してきたのに、何故また同じパターンを踏むのかと怒りを感じる。学ばない奴は嫌だなと思う。そして其れは相手のことか自分のことかと思う。私もまた同じ事を繰り返しているのだろう。
相手が理解していると疑いも無く思って自分の行動をその思い込みの上に乗っけてこける。もし、コレが他人だったら確認を取る。確認を取らなかった自分の落ち度を反省する。夫婦だからその謙虚さが無くなる。お互いの距離感の無さがかえって反発となって跳ね返ってしまう。
夫婦という関係は他の人間関係とは異なるものだ。何処か自分の中に相手の幻影があってこんなはずではなかっただろうと思ってしまう。夫婦という名前の見知らぬ人を感じたとき、寒々とする。その寒さが相手から来るのか自分が発しているのかを立ち止まって考えるゆとりは無い。
其れはお互いに共有してきた人生が長ければ長いほど、深ければ深いほど深く刻み付けられる傷かもしれない。長年連れ添っていく中で繰り返された些細な亀裂が修復不可能になってしまう姿は、人間関係の根源の姿かもしれない。にもかかわらず共に生きようと願うとき夫婦という関係は変化しうる関係になってゆくのだろう。
小さなかみ合わなさを今日一日手の中で転がしながら「ならば私は如何するのか、如何したいのか」を思い巡らしながらすごしてみたい.あなたがではなく、「私が出来ることを私が考え付くこと」でしかこのパターンを変えることは出来ない。
別れなくてもやがて別れは来るのだから、せめて生きてあるこの日々を充足して共に行きたいのだ。私たちはまだ旅の途中だ。