スイス・アーミー・ナイフ

大将に、藤崎にあづかった万年筆の引取りを頼んだ。藤崎の6階。何気なくニュースを見たらロレックスが盗まれて6600万円相当の被害だそうな。あの小さなコーナーでもそれくらいの被害は出るのかと妙に感心した。何も知らずに大将がモンブランの引取りに行っていやな思いをしなければいいなとちらりと思った。と言うのは彼はキーホルダーにスイスアーミーの小さなナイフをぶら下げていて,5CMくらいの小さなナイフが銃刀法に引っ掛かるんだとか。デスノートの原作者が引っ掛かったとかで、彼は大切なブレードをおってベルトのキーホルダーにつけている。腰についているだけで職務質問を受けるんだそうな。勿論ナイフ部分はつけていないので違法にはならないが、職務質問は嫌なものである。このところの変質者騒ぎで致し方ないのかもしれないが。
因みに我が家では子供が中学に入学するとき、上等のスイスアーミーナイフをプレゼントしてきた。銀色の十字のマークが付いたあのお馴染みのビクトリノックス。JIJIの介護の時もアレのお陰で食事介護も身の周りのこともとても助かった。日常的にわたしは手放せない。それもイケナインダそうな。飛行機に乗るときは与りになるか没収なのは知っていたが、日常的に銃刀法で引っ掛かるとはね。善良な市民も変質者も区別しないのかと呟いたら、一般市民はナイフを持ち歩かないと言われてしまった。そうか、わたしは善良ではあるが一般市民ではないのだ。さしずめ善良な武装市民と言う所だろう。
筆入れの中のカッターはどうよ、肥後の神も駄目かなどと頭の中は忙しい。鉛筆も使わず、今はシャーペン世代。鉛筆を削って使うなんて文化は既に廃れた。微妙な信徒機の部分のバランスで文字の形や風合いを書き分けたプロの学生の最後の世代が私たちだったかもしれない。芯の濃さとどれくらいの芯の長さにすればいいのかは微妙な調整が必要だった。書いても書いても芯の太さが同じに削る工夫もした。たかがナイフと鉛筆。されどあの時間が大好きだったな。鉛筆削りの画一化された芯の出方は好きにはなれなかった。
 何時かナイフさえ使えない人が育っていくんだろうな。わたしは最後の一本になっても自分のナイフのブレードは折らない。正しい使い方をすればこんなに優れた道具は無いもの。いざとなったら人の命を助ける事だって出来る。