倒産

社宅の向かいに綺麗なビルがある。連休明けてからいつもなら朝は6時半から明かりがついて深夜まで仕事をしているのに、一向に人の気配が無い。もしかしたらと思って見ると玄関に張り紙がしてあって時々誰かがその前にたって読んでいる。夕方近所のコンビニに行くついでに玄関前に立ってみた。弁護士名の、倒産申立てのあった旨の通達書だった。人様の事だけれど、子供たちが幼い頃突然できた洒落たビルが年月を経ずして倒産に追い込まれたことに無残さを感じる。何度か仙台を出入りして懐かしく眺めていたビルだから、今無人の空きビルになってしまった姿を見るのは悲しい。丁度私の台所のベランダがビルの事務室の高さと同じで夜は明かりの中に働いている人影が見えた。仕事をしながら人の気配が嬉しかった。今は夜の闇にすっぽりと包まれて其処だけが沈み込んで見える。あの方たちは如何なさったのだろう。景気が回復したと政府は喜んでいるが、私の周りには其処まで持ちこたえきれずにこうして倒産していった会社が沢山ある。其処で働いていた人々の生活を思う。「痛みを感じて」と彼の人は言ったが、痛みに押しつぶされた人に救いの手は差し伸べられているとは思えない。
 私には弱肉強食の世界であり、谷間に落ち込んだ人は立ち上がる手がかりさえ無いと思える。今朝も福祉の谷間に落ち込んでしまい、一食500円のお弁当を100円の調理パンに切り替えようかと悩んでいる方と話をした。一週間に2回のお弁当をご馳走と楽しみに待っている人からその楽しみを奪わなければ成り立たない社会の仕組みに心底腹が立つ。