昨日

NPOの仲間数人と研修会に参加したが、そこで彼らは次に何処の研修会に出るか、誰先生の研修を受けるか、そして何処の温泉にいくかで盛り上がっていた。私には全くそんな発想そのものがなかったのでふむふむと観察して面白かった。自分以外の人の考え方や生き方を眺めるのは面白い。羨ましいとか、私はなんでとか思ったことが無いからかもしれない。人をうらやむ事を意識して避けてきた。私は自分が嫉妬心を超越するほど人格者ではないのをよく知っているから、せめて嫉妬心を起こさないで済むような場面しか自分に与えないようにしている。嫉妬の焼けるような痛みはとことん嫌だ。
 さてこの連休わくわくとして不用品を排除する事に精力を傾ける。ギュダ君の思い出を箱から出してきちんとケアしてまた箱に詰めよう。もうすぐ5月7日がやってくる。丸2年になる。あの子がいなくなる前といなくなってしまった後で私は自分が大きく変わっただけではなく、家族一人一人が変わったと感じている。
 深くなったと思う。受け入れる幅も深さも大きくなった。何よりも柔らかく、優しくなった。以前からその傾向があったがそれがますます磨かれた。涙でパンを食べたせいかもしれない。そして心のどこかにもしあの子がここにいたら如何考えるだろうかと思う。あの子は何も人を責める言葉は出さなかったが、悲しい目をした。フットあの子の表情が曇ると、私は自分を恥じた。あの子は直感的に物ごとの善悪を判断する能力に長けていた。
そんな極些細な思い出さえも奪われてしまった後では、強烈な印象を留めるものらしい。