如月

mugisan2006-02-01

 とうとう2月になってしまいました。今年は月ごとに雰囲気を変えてみましょうかと。ヘッダーを変えてみました。
 二月は転勤の準備の月ですが、ことしはどうなるのやら。親が国家公務員だったので春は分かれの季節でした。引越しのない人と結婚すると硬く決めていました。そのはずだったのに、親分が転職し、また転勤のある仕事になってしまいました。面白いもので一度ある方から、某大学の事務局長の仕事をしないかと声を掛けられた事がありました。
 首都圏のその大学は私でも知っている私立大学でしたが、お断りしました。そのとき夫婦で迷って悩んで出した答えは「子供たちを田舎で育てたい」でした。その方に「郊外に家を借りればいいじゃあないの」といわれましたが、あの雑踏と東京での生活はもういいやという思いがありました。学生時代から新婚時代をすごし、大好きだったはずの東京生活が子供を育て始めたとき「疲れるなあ」とシミジミ感じたのです。
 自分が何を心に抱えて生きていたいと願い、何を子供に伝えたいと願っていたのかが分かり始めてきたのです。子供が居なかったとき大人2人の生活はそれなりに充実していたし密度の高いものでした。それが子供がひとり家族に加わっただけで求める世界が変わったのです。もっとゆったりとした時間もっとおおらかな空間もっともっとと願いは自分が育ってきた環境にずれ込んでいきます。不思議だなあと思いました。子供の頃この街が好きとかこの土地がすきとかいった感情は一切持たないように暮らしていたからです。好きになったら分かれるのが辛いと思っていたから、友達も深く関わらないようにしてきたけれど。親になってみて、私は子供たちがこの街で出来ることを力いっぱいやって沢山の人とであって例え別れが辛くてもきちんと絆を結んだ方がいいと思っている。例え2年ごと3年ごとに切られてしまう時間の流れであっても、その時間もまた大切な生きている時間なのだから。人生を細切れに生きるか繋がった一本の流れと見るかで生きる姿勢は変わってくる。
 この次の転勤は誰がこの町に残り、誰が親と一緒に行くのかと選べてもいいと思う。それが出来るくらいに子供たちが大きくなったという事かもしれない。若い頃は転勤先で子供が生まれ家族が増えていった。今家族は其々の生き方を求めて此処を巣立っていく。思いも付かなかった事が考えてみれば当たり前のこととして其処にある。
 毎年春になると子供たちは友達と別れるのか分かれないのかを気にする。でも親が分かっていても話せないのを知っているからじっと様子を見ている。私が物の整理を始め捨てだすと覚悟を決める。今年もその季節がやってきたな。社宅のゴミ置き場に出されるゴミの種類が変わってきた。季節外の衣類や本や生活雑貨が増える。どなたがお出しになっているのかは分からないが、また去ってゆく準備が始まっているのだろう。