師匠の誕生日

今日は師匠の誕生日。日の出の頃生まれたからもうこの時刻には生まれていた。小さな女の子でちゃんと育つのかと一瞬思ったが育ちには問題は無かった。問題は強烈な恥ずかしがり屋で何時も私のスカートの陰から世の中を見ていた。だから彼女が幼いとき、私は子供がもぐりこんだり、かくれたりしやすいようにロング丈の8枚ハギのたっぷりフレヤーのスカートをはいていた。動くときは子供を蹴飛ばさないようにスカート周りを確認してからうごいた。コレってどこか西部劇に出てくるシーンみたい。今の情報過多の私だったら自閉症を疑っただろうし、高次機能障害をうたがって悩んだろうな。其の気配はどの子の時もさまざまな形で現れていた。
 それでも其の事を深刻に悩まなかったのは、若草物語のベスを思い出したからかもしれない。あの物語が大好きで、自分の人生で出会うことを彼女達の知恵を借りて乗り切った事が何度も合った。Eのついたアンや、エミリーやジュデイやサリーやスー姉さんやのっぽのサリーやその他個性的な物語の主人公達が、私の不安を軽くしてくれた。物語の中から私の心の中に住む場所を変えた彼女達の生き生きとした存在は、私にとってライフガイドだった。
 私が、世のお母さん達よりもほんの少しだけ子供をせきたてる事少なく、個性として見守れたとすれば、少女時代にインプットされていた人間の多様性に対する受容と、成長に対する信頼があったからだと思うのです。人は一人として同じペースで育つわけではない。其々の生きる、育つ時間の早さの平均値で子供をせきたててみても仕方が無い。ただ子供の育ちを援助する場所に自分を置く事は何をおいても最重要課題だった。