親だからしてはいけないこと、できること

 パグママの老いの進んでゆく姿が私に見せてくれているのは、やがて来るであろう私自身のありのままの姿でありそれは避けて通ることの出来ないもの。すでに命籍を異にした父母を思うときそれぞれの人生の終焉の姿としてあの最後の数年間があったのかと思う。人は種を播き、やがて自ら刈り取って人生を終わる。私はどんな種を播きどんな実りをつけているのか。それは今の私には知るすべも無い。実りは私のためにではなく、それを必要とする人のために備えられるのだろう。私は只今日一日の中でいただくものを最良のものとして受け入れ自らの糧とするだけでいい。蓄える事は出来ないのだから。人間の最後の旅路をあらかじめ示すのは親に課せられたさいごの仕事であるように思う。
 やがて来る老いの日々が、私にとってまた家族にとって幸いな日々であるようにと願う。振り返れば看病と介護に明け暮れた私の今日までの日々だった。幼い日の記憶は母の病床の枕もとの記憶から始まる。私が子供達に私自身の事で負担を掛けたくない、誰にも頼りたくないと強く思うのは、このことに由来するのだろう。子供は親の心配なんかしないで自分の毎日を心から喜んで生きていられたらどんなにいいだろうか。この幸せな子供時代を保証し与える事もまた親にしか出来ない事であるように思う。
 相談室で出会う人々の心に潜む「親の亡霊」を見るとき私の心は痛む。なんとたくさんの結婚生活がある日突然壊れてゆく事だろう。親は時限爆弾のように子供の心に幸せになる事を禁止する種を播く。大人になり自分が親になった頃その種は芽を出し根を張り子供の心を縛ってゆく。気が付かないという事は罪だとこのごろ私は思うようになった。親があらかじめ子供の人生を支配してゆく要因を子ども時代に植えつける事、言い換えれば「過干渉」「ネグレクト」「言葉による暴力」「体罰」etc.はおそらく親自身がその親から引き継いだものだろう。人は自分がされた事を繰り返し次の世代に引き継ぐ。親だからこそしてはいけないこと。
 自分のところで負の連鎖は断ち切らなければならない。気が付いたその瞬間から。親だからできることの最良の事。