大豆

 大豆を水煮にしておくと、とても便利。本当は一晩水につけて吸水させてから調理するが、簡単な方法がある。まずフライパンで大豆を軽く空煎りする。焦げ目が少しつくくらい。この炒り豆をフライパンに熱々に熱しながら水を200ccジュッと注ぐ。凄い音がして泡が立つので豆もびっくり私もびっくりだが、一旦水気がなくなるまで煮たら、後はひたひたになるまで水をもう一度注いでふたをしてコトコト煮込む。不思議なくらい短時間で美味しい水煮ができる。後は火を止めてこのまま冷ます。ビンに詰めて冷蔵庫に入れておくと、なんか足りないという時助かります。だししょうゆや酢に漬けておくと箸安めに、甘辛く煮ると葡萄豆に、サラダに散らす、お味噌汁に入れてもいい。これからの季節何かと重宝します。
 これに、ごぼう、にんじん、高野豆腐、昆布、大根等をそれぞれ8ミリ角の賽の目に切って味噌仕立てにすると秋田の郷土料理の「貝の汁」になる。大なべに作って外においてシャーベット状に凍ったものを必要分だけ持ってきて暖めなおして食べた物らしい。昔は寒かったのだろうなと思う。いまどき戸外で食品を自然保存できるほど寒さが厳しくない。
 転勤していると、土地土地の郷土料理、それも名物になってはいない、本当に昔みんなが食べた食べ方に強く引かれる。もう今の若い人は見向きもしないが、昔おばあちゃんが作ってくれたものが食べてみたい。そして自分でも作ってみたい。其処にはその料理が生まれた必然性がある。人々の暮らし向きが見えてくる。折角ご縁があって何年か住むことになった土地。せめてそのわずかな間だけでもその土地そのものと出会って見たい。
 絶滅危惧種ではないが最早誰も食べなくなった料理もたくさんある。なくなってしまうものにもそれなりの理由があるから仕方が無いと思う反面、少し寂しいとも思う。私が育った家の夏の定番は「冷やし汁」「すり流し汁」だった。宮崎の食べ物だったと思う。大好きで私も良く作る。体に優しい食べ方だと思う。
 台所に当たり鉢が最早無くなってミキサーになって、それもなくなってハンドミキサーの時代。ゴリゴリとすりこ木の音が過去のものになってしまって久しい。引越しのときあの大きさと重さにうんざりしながらこの次捨てようと持って歩いている。今回はとうとう箱の中から出してもいない。こうやって消えてゆく料理もあるのだろうな。
 料理が作られなくなってゆくのには、私たちの生活が変化した事も大きな原因だなと思い当たる。昔の人はこんなに小刻みに住まいを変えたり異動したりしなかった。台所用品だって生涯を通じて使い続けたのだろう。大地に根を下ろした生き方でしか護れないものもあるのだなあ。人の営みの中には。