苦しいとき

 周りの人全てが幸せそうに見えます。自分だけが取り残されて苦しまされているように感じます。聖書の中に「かつて人が体験しなかった悲しみも苦しみも存在しない」と書かれています。何気なく読み捨てていたこの言葉が私に迫ってきたのはギュダ君がなくなったときでした。私の周りに同じような体験を生きて来た人が、なんと沢山居た事でしょうか。私はそれまで見ても見えず、聞いても聞こえていなかったのでしょう。同じ苦しみを味わったとき、私は見るべきものが見え、聞くべき言葉が聞こえて来たのでしょう。そのときまで、私は頭でしか受け止められず、悲しみや苦しみの本質はまるで理解できなかったということに気がつきました。表面しか見えていなかった。この体験を通して初めて一枚剥ぎ取った真の感情に触れることが許されたようです。