明日はまた其々

 生活の場所に戻っていく。午前中は親分が仕事で、大将はBナントヤラのセッティングで結局全員が揃ったのは3時過ぎ。外は雨だ。ギュダ君が亡くなってから辛いので彼を思い出させるカラオケには行かなかった。ふとお誕生祝いに、ギュダ君の思い出も噛み締めてカラオケに出かけた。我が家のボリュームで歌えるのは体育館か野外かカラオケしかない。ギュダ君が居たときに好んで歌った歌や、彼の人生をなぞったような歌をそれぞれ歌った。眼を瞑ると、あの子がここに居て歌って居るように感じた。皆が最高潮に乗りまくったのはイタリア語のオーソレミオだった。ギュダ君は小学5年生のときヴォイストレーナーについてカンツオーネを歌っていた。生まれたときから、教会音楽の中で育ってきた子供達。大抵の歌は一人が歌い出せば、ハーモニーがつき、コーラスになる。こうやって自然と我が家らしいハーモニーの取り方を子供達は身に付けていった。何処でも、誰とでも即興でハーモニーが執れるのはいいことだと思う。一人で歌うのもいいが、それに誰かがオブリガードをつけたり和音を取ってくれたらもっと楽しい。音が膨らんでゆく。3時間楽しんで家に戻って食事をした。恒例のハッピーバースデイの大合唱。いつもなら離れて暮らしている子は電話でつないで、街中だろうと、教会の中だろうと声を合わせてハッピーバースデイを歌わせられるのだけれど、今日は全員そろって同じ場所で歌った。それぞれ思いつく限りのひねりを加えたプレゼントを渡す。コレが実に楽しい。