今日で6月はオワリです

なんて盛りだくさんだったのだろう。沢山の出来事があり、人とめぐり合いそして別れた。流れが緩やかでわたしが乗り切れないほどではなかった。それでも疲労感は残る。秋田は父母の生まれた土地だ。転勤族だったので私たち子供は全国を移動して育った。イマイチ土に根を下ろしたふるさとという感覚がない。それでも墓地公園の一角に親分の両親と私の母の眠るお墓が隣接している。あそこがふるさとなのだろうか。
 私たちはまだ異動しなければならない。だからこどものお骨を納骨しては居ない。日本の法律ではお骨を納骨しないで自宅に置く事を認めている。こども達がこのさき何処に落ち着くのかは分からない。スナフキンは仙台の会社に就職してしまったからしばらくはココで暮らすだろう。大将はまだ今の会社に居続けるかは決めていないようだ。蛙チャンは県内を退職するまで移動するだろう。師匠はまだ生涯の道を決めかねている。ジョナサンと姫はまだ学生だ。
 一体ギュダ君をどの土地に下ろせというのだろうか。教会の墓地のお誘いを受けるたびに枕詞に付く「彼を眠らせてあげなければかわいそう」という言葉が転勤族の切なさを知らない人の言葉だと感じさせる。私たちが生きているこの流れと、一つの土地に根を下ろしゆったりと生きる人の流れとは異なるのだと気が付く。お墓どころか、人間関係でさえ定着できずに生きている。私たちは時間をかけてやりそこなった人間関係を修復することはできない。だからいつもソコまで降りないところで人と関わってきた。それでも教会でのお付き合いや、何人かの家族とは子育ての時間を共有してきた。深い交わりを持つのは人としての本能なのだろう。生命維持装置のようなものだ。私たちにとってのふるさとは出会った人の心の中のともに過ごした時間なのかもしれない。あの時あの人と過ごした年月。こども達にとって自分が生まれた土地と育った土地は違う。幼児期、少年期、青年期それぞれ違う。
 これは人間の人格形成にどんな影響を残すのだろうか。私たちは子供たちにせめて途切れる事のない精神生活を提供してきた。身体は移動しても心には繋がりのある環境が残される。それが教会であリ、スカウト活動であり、エンカウンターだった。こども達がどんな人として成長しているのか今の私に分かる事はごく一部だ。私たちが居なくなって子供たちの時代になってその生涯を通して答は出てくる。目先の事ではなく、そういう長いスパンで彼らの人生に布石をひっそりと置きたい。今は分からなくても、無駄に見えてもやがてその石が生きてくるようなもの、その石があったから場面が生きるようなものを、親はこどもの人生にそっと用意してやりたいのだ。目先の事は要らない。この一月振り返ってみれば、随分きつかった。少しはゆったりと心を泳がせようかと思う。