ターシャチューダ

彼女が何歳まで生きるつもりなのか、いよいよ最後の時をどのようにすごすつもりなのか、とても興味がある。彼女の生き方は、彼女の親の世代も含めて、いわゆる常識的ではない。離婚をして自分の娘を友人に預けて自分は自分で思い通り生きた彼女の母親の生き方はターシャにも引き継がれている。彼女がいま住んでいる家は彼女の次男が建てたもので写真で見るとおりの一時代前の暮らしぶりなのか、アレはアレ、実際がそうだとは限らないのか分からない。確かめようと思えば調べられる事だが、彼女が私たちにメッセージしたい事とは相容れないことのような気がするので、あえて調べようとは思わない。あそこに在るのは、人間の生活の原点に近いものだ。バケツで何杯と植えた球根や花の種、家畜たち、コーギー犬、死んだ振りをする白いオウム、片目の猫、ランプ、藍染用の木の桶、空気銃、18世紀のドレス、何よりも不思議な人形達とターシャその人。私達が真っ先に捨ててしまったものを拾い集めたら、あの世界が出現する。何故私たちは捨ててしまったのだろう。そして何をその代わりに手に入れたのだろう。その結果私たちは幸せになったのだろうか。ターシャの生き方は特別なエキセントリックなものかもしれない。しかし、たまらなく魅力を感じる。私は彼女ほど強くも、たくましくもないから、おそらくあんなふうに人生をコーディネイトは出来ないだろう。私は私の器の中で取捨選択を繰り返して行くだろう。繰り返し何かを捨て続け、何かを守り続けてゆく。その意思だけは持ち続けたい。久し振りで、亡くなった養母のことを思った。おとといが彼女の誕生日だった。理解される事の少なかった人だが、愛らしい人だったと今思う。彼女は心根がとてもターシャと良く似ていることに気がついた。だからこんなにもなつかしさを感じ、心ひかれるのかも知れない。