仙台で行方不明の女の子が帰ってきた

10日前に家出した少5の女の子が、自分で戻ってきた。お母さんが家出3日目に「娘が帰ってこない」と実名と顔写真を載せたブログを立ち上げて、一般の協力を求めた。勿論学校にも警察にも届けを出し、個人で出来る限りのことをやった挙句の決断だった。自分のHP、TB、ブログにリンクを張って協力を申し出る人が居る反面、誹謗中傷、攻撃的な言葉、煽り、故意に傷つけようとする、遊びの対象にするなど、ひどいものだ。この中に子供に関する情報があるかもしれないと、必死で書き込みを読む家族の気持ちを考えるとやりきれなかった。
 私は沢山の人の死を見てきた。人は死が近くなると、自分のやってきた事、いったことを繰り返し思い浮かべる。そうしようと思わなくても、それはなにかのきっかけでよみがえってくる。忘れているようでいても、自分のやった事は心の奥深く秘められていて、決して消えて無くなりはしない。自分が今面白半分にやっている事が、自分自身のこころに静に降り積もり、自分の死の旅路でよみがえってくると知っていたら、それでも彼らはあんなひどいことをやる気持ちになるだろうか。人は必ず死ぬ。その時穏やかな平和な締めくくりを迎えられるか、後悔に苛まれるかは、生きている今の自分の在り方が決めてゆく。
 彼らのやっている事は、苦しんで悲しみと不安の中にいる人を、面白半分にいたぶる事だ。人間としてこれ以上最低の行為はない。同じように帰らない家族を探しまわった人々の苦しみを知っているから、やりきれなく腹が立つ。母親が「娘の写真を外しました」と言う一言が胸に重かった。行方不明の尋ね人でさえ顔写真を出せないネットモラルの低さ。
 とりあえず自分の意思で連絡を取り、親の腕の中に戻っていった事は良かったと思う。これから何があっても、生きてさえいればやり直せる。まだ11歳じゃないか。生きていて良かったとこころの底から思った。