不登校

 不登校を個人の特性と見る見方を今はあまりしなくなった。むしろ社会の中での学校のシステムに何らかのひずみがあって子供も教師も不適応が起きているのではないかという見方をする。しかし、言葉でこうはいっても、自分の子が現実に不登校になってしまい、受験はどうするのかとか、こころの成長はどうなるのかとか、高校の場合は中退の問題も出てくる。ちゃんとおとなしく学校に行って受験して進学してくれれば一番平和で安上がりなのだ。親の思いは、現実と理想の間を揺れ動く。コミュニケーションがずれてゆく。語っている次元が食い違っていても、余裕のない緊迫した家族関係の中でそれに気が付く事は難しい。自分がどうなのか、相手がどうなのかを冷静に捉えるだけのユトリを何処で取り戻すのかが、鍵になる。
 クールクール頭をひやせ。と自分に言えるか。自分がどんな調子で、相手に何を言っているのか分かるか。コントロールできるか。コレが一番難しい。親子・夫婦となると頭に血が昇って歯止めが利かない。善意から出た言葉は重く鋭い。