イブ・ミサ

クリスマスの前夜は光のミサがある.いわゆる深夜ミサで、闇の中に生きている私たちに光がもたらされる。それがキリストの降誕でありここからまた一年が始まる。ヨハネ福音書は、美しい言葉でこのことを象徴的に表現している。始めに光があり、光は御言葉になり、御言葉は人となる。今夜のミサは希望のミサでもある。憎しみのあるところに和解を、争いのあるところに平和を、絶望の時に希望を、不信の心に信頼を、断絶のあるところには通じ合いを、分裂のあるところには一致を願い祈り求める。それが今夜のミサ。だからクリスチャンはキリスト降誕の記念としてだけではなく、自分たちのこれからの日々をどのように生きてゆきたいのかの願いを、祈り求めるために、深夜ミサに集まる。この集まる事が大事なのであるよ。なぜならば聖書には「私の名によって、二人三人が集まるとき、必ず私はその中に居る』とキリストが言われたから。
クリッペ(馬小屋)の中に幼子は居ない。この深夜のミサの中で幼子は、運ばれてきて、司祭の手でクリッペの中に置かれる。ちなみにクリッペとかネイテビテイと呼ばれる馬小屋をアドベントに作ってゆく事で、ルカ福音書を再現する事を始めたのは、聖フランシスコであるよ。
 と言うわけで、今日予定通りに仕事が片付いたら、ミサにいけそうです。我が家のワゴン車はシンプルで有名な某ドイツ車なのでナビが搭載されていない。親分はささやく「ナビがほしいようううう」確かに、深夜見知らぬ町を地図をみながら探し回るのは大変だよね。特にこのご時世ワゴン車が深夜うろうろしていたらマズ職務質問を受けますよね。サンタさん親分にナビを下さい。しかも大阪弁名古屋弁で喋るヤツ。面白かったので。\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?