2015-04-01から1ヶ月間の記事一覧

昨夜は雨降り

車のサイドミラーが見えないくらいに雨粒が大きかった。普段は気にもしていないのにいざ見ることができなくなると実に不安なものだね。左車線で後ろからのバイクや自転車が見えない。ミラーではないが助手席側の窓の端が雨滴で見えにくくなり、横断歩道で端…

桜の木を昔植えた

麦ハウスに昔桜の木を植えた。長女が生まれたときの記念樹。それが住み始めて一年で転勤になった。留守宅で桜の木は大きくなり、やがて戻ってみると根元からバッサリと切られていた。桜の葉が落ちてくるからとお隣が切ったらしい。無残だなと思う。 今度戻っ…

ねむくてたまらないなあ

このところ姫の体調が悪くて、それに引きずられて、私の睡眠もこま切れになってしまう。もうこの状態が五日も続いているからほとほとくたびれてしまった。今夜はもう寝ようと思った。

せっかくの桜

満開になったのに、寒くて花を見に行くことができません。仕事も忙しいのです。なんてこった。花の命はほんの一週間しかないというのに、懸命に咲いている花をめでる暇がない。寒いから行きたくないなんて、花に申し訳ないでしょう。明日こそ花に会いに行こ…

何があったとしても

時間は止まりはしないからただひたすら、今やるべきことに向かっていくしかない。自分は何ができるのか、そして何をなすべきなのかを知ることが大切。たとえば家族の中で一日にどのくらいの言葉が交わされているのかを知りたければ、テレビのSWを切ればよい…

大切に思っている人が

いきなりもうこの先は無理という状況になった。何度か倒れては入院を繰り返し、もうこの先はないと思う状況だ。役職は降りられるモノはおり、あとの憂いは家族のことだけになって、まるでああこれで安心というみたいに弱くなっていく。 本当は感情の起伏の激…

何をして生きていくのか

命の捨て場所を思っている。 何に命を懸けきって旅立ってゆこうかと思っている。 命を燃やし尽くして死ぬるならば、 生きてきたいかなる時間があったにしても、補いができる。 そんな懸けきった死に方はないか。 長々と生きなくてもよい。 もう充分にこの旅…

亡くなったものの年を数えるかのように

あの日からの日々を基準に考えてしまう。あの日から始まった私たちの人生は、そうでもしなければたまらない気持ちになるほど、変化してしまっているから。なんとたくさんのことがあの日を境に代わってしまったのだろうか。 もし、あのことがなかったら、今こ…

今年は桜が早くて、日程が間に合わず花見どころではない。あきらめていたけれど、思いがけず桜に出会った。 今月からお花を習っているが、先生がまことに厳しい方で生徒よりずっと熱心。毎週新しい花材に取り組んでいるが、今週は桜を活けた。花の卸し屋さん…

家族それぞれの新年度

姫は大学院の最終学年。何が何でも就職を目指さなければならない。世の中は好景気でいくらでも就職はできるようなことを言っているが、現実はそんなに甘くはない。まず試験に合格しなければ・・・親は見守るしかない。私は、いつ仕事を縮小するのか、そのこ…

春なのに

いや四年前のあの日もこんな寒さだったなと思う。雪が降っていたし、横殴りの風が吹いていたしな。桜もつぼみを膨らませていたはずなのに、ひたすらの寒さしか記憶にない。灯油もない、電気もガスもない。そんな一日が続いていったよなあと思い出す。春の初…

ひそやかに木の芽が燃え出す

一気に緑になるのではなく、ほんのりと赤く染まりやがて」薄緑色に萌えてくる。その緩やかでかすかな色の変化が春の空と大地の境目に淡い華やかさを添える。 風の色と思う、かすかな空の際の色の変化がいとおしい。こんなことに胸がときめくのも自分が生きる…

あまりに有名になりすぎて

たまにふらりといって、工場だけで売っているウイスキーを買ってくるのが楽しみだったのに、なんとこの工場は満員御礼になってしまった。一時のことと思うが、何もかもマスコミにのれば変質してしまうのかなと少し寂しい。人をかき分けて、レジに並んであた…

バラを見ていると子供時代を思い出す

昔北海道のある町に住んでいた。その時住んでいた家には300坪の庭が付いていて、一角がバラ園になっていた。ハイブリッド種のばらで、風が吹くと馥郁と濃厚な香りが帯になって流れていく。二人乗りのぶらんこがあって座って揺れていると幸せな気持ちで胸…

イースター

復活祭のお祝い日。この日卵にきれいな絵を描いて贈りあう。この一年の希望と喜びを込めて。あなたに幸せがきますように。私にも幸せな日が来ますように。生きていることも死んでゆくことも、すべての中に御身の光があります。復活祭は命そのものの誕生の日…

気持ちの行き場所が見つからなかったら

まず窓を開いて風を入れようと思う。向き合うものが空だったら、自分はどのような風を受けることができるのか試してみたい。ただ受け身でもよい。私には向き合う壁があったにしろ、この空に壁はない。毎日が細切れの時間で、絶えず人と向き合っていると、時…

自分に何ができるのかではなく

何がしたいのかを思う。できるかできないかを考えてしまうとほちょんどのことが、何もそれをしなくても生きていけるでしょうと思う。 あえて今何にチャレンジしてみたいのかを思う。何を置き去りにして生きてきたのか。このままこの世を去っていくとしても、…

最後の晩餐の記念

いよいよ聖週間のクライマックスに近づく。もうすぐ復活祭。29日の日曜日はエルサレム入城の記念をして、棕櫚の枝をもらう。毎年聖なる一週間が受難を記念して典礼に組み込まれているのには意味がある。 かつて2000年前に遠くユダヤの地で起こったこと…

明日は聖木曜日

洗足式があり、親分は司教様から信徒の代表の一人として足を洗っていただく。私は共同祈願の祈りをする。姫は案内係でみなさんの整理案内をする。それぞれの持ち場でそれぞれの役割を果たす。何となく嬉しい。奉仕するものでありなさい。その通りに生きてゆ…

買わない

値上げが続き、実質年金は減っている。買わない。今あるものをとことん使い切る。節約するしか、やりたいことをやるゆとりなんて生まれてこない。ボランテイア活動は、完璧に支出だから、これを続けるためにはどこかを節約しなければ、続けられない。社会活…

暑いくらいの昨日までの日が

今日は肌寒い雨。昨夜は仕事が終わってから、自殺に関しての精神科医の研修があった。それはそれで病人を扱う人の側からの言葉や資料と、健常者側から病気に向かうまなざしとの食い違いや交差する思いが微妙で、いろいろ新たな気づきがあった。印象的だった…